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全ては繋がっている

高校時代は野球部に所属していたのだが、そこでいつも監督に言われていたことは、

「私生活の行動は全て試合に出る。試合で活躍したいのなら、私生活にも最善の努力をするべきだと。」

高校の時はなんとなく理解していたけど、本当に理解せずに3年間を終えた。それで大学3年間を過ごし、最近までもあまり意味は分かっていなかった。(今はスポーツはしていない。)

 

ただ最近今までの自分の行動を見直たことに加えて、1つの動画の動画と1つの記事を読んで、核心を得た。

 

日本での大学の成績は3.3くらいで、アメリカの大学での成績はちょうど3くらい。悪くないけど、ベストでもない。この傾向は小学校の時からあって、色んなスポーツ得意だったけど、全てのスポーツで1番ではない。学校の成績も1位ではないけど、そこそこ。最後の一踏ん張りが出来ない。これは自覚していたけど、それほど重要とは思っていなかった。

 

大谷選手がゴミ拾いをする理由

https://youtu.be/rslekrIQYsA

「クラシル」をレシピ動画世界一にした25歳が一番恐れること

http://diamond.jp/articles/-/168167

 

大谷選手の動画とクラシルCEOの堀江さんの記事を見て、はっとした。あらゆる局面における行動が仕事なり、部活動なり、人間関係なり自分が目標を置いている物の結局繋がっているんじゃないかと。

 

例えば、大谷選手は最近では料理をやるときもかなり小さな部分までこだわるという。

 

自分の例で言えば、自分は結構部屋が汚かったり、食べ方が綺麗じゃなかったり、洗濯物の畳み方が雑だったりと適当な部分があると10年間くらい言われ続けてきた。でも、それに対してあまり気にしていなかったというか、少なくともその部分への姿勢は勉強、部活動、仕事への姿勢は関係ないと思っていた。

ただ実際はかなり関係しているんじゃないかというのが最近の考え。

部屋が汚いのは、物事の整理に対しても雑である可能性がある。食べ方が綺麗じゃないのは、細部への美に対するこだわりが弱い。洗濯物の畳み方が雑なのは、物事の締め方や確認作業に対しても甘さがある可能性がある。電気を消し忘れるやつは、細部の違いに気づけない。普段から人のために最善を尽くせいやつは、仕事においてユーザーやクライアントのためにも最善の選択をしない可能性がある。ご飯残すやつは、自分の能力や状態を理解していないのと最後の一踏ん張りをできないやつ。

(正直極論もあるし、捏造した相関関係もある。)

全てを完璧にする必要は全然ないと思うし、それにより時間を割くことは、他の時間をなくすことに繋がる。また人の集中力とは限られているので、全てに対して最善の注意を払えるわけではない。ただ、できる時間の中でそういう日常生活の小さな部分に自分のベストを尽くしていないということは、自分がやっていること、最も言えば人生に対してもベストを尽くしていないのではないかということを自分の経験から感じとった。

 

最近だと、みんな "好きなことをしよう"、"つまらない仕事はやめよう"みたいな議論があるけど、それ自体に対しては”Why not!”って感じ。人生の中で、自分が熱中できるようなことをひたすらに探していく姿勢は続けていかないと思っている。ただ、今やっていることに本気で出来てなくて、面白さを感じてない人が、好きなことを見つけたから、幸せになれるかといえばそうは思わない。好きなことを見つけても、中途半端にやって、微妙かもみたいな感覚に陥る人もいるはず。

 

結論としては全てに自分のベストは尽くしたいよねっていう自らへのメッセージ。